どんな映画?
日米両方を拠点にしてきた空音央監督が初めて手がけた長編劇映画。主演を務めるのはオーディションで選ばれ、本作がスクリーンデビューとなる栗原颯人と日高由起刀。2024年・第81回ベネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門出品作品。
あらすじ
近未来の日本。高校生のユウタとコウとその仲間たちはクラブに忍び込んだり、夜中の学校に忍び込んだりしながら楽しい日々を送っていた。あるとき、校長のスポーツカーにいたずらをしようとユウタが言い出したことで事態は急変。彼らの仕業だとはバレなかったものの、怒った校長は生徒を監視するAIシステムの導入を決めてしまったのだ。それに対し、自由を奪う行為だと一部の生徒や教師が反発を示し……。
そのセンスに圧倒される113分
最初の1秒から心を掴まれた。スクリーンに映し出された都市の風景とそこに被せる音楽に惹きこまれて、ここから先ほんの少しでも逃さずに目撃しなければという覚悟が生じた。
風景の切り取り方も、登場人物の映し方も、カットの切り方も、音の使い方も、すべてが新鮮でグッとくる。なんだろうこの感覚。少し埃っぽくて冷めた空気が支配する昼間、ネオンが汗に反射するように鈍く光る夜。柔らかい子どもっぽさと、ゴツゴツした大人っぽさが共存した子どもたちの肉体と、本人すらまったく把握できていない複雑極まりないそれぞれの内面。スクリーンが提示するどの瞬間もが私にとってはアートで、心の底から興奮を覚えた。
スクリーンデビューだという主人公ふたりは今流行りのツルツルフワフワした男子とは全然違う。伸びた身体を持て余し、ザラザラゴツゴツした質感を放っている彼らは、アーティスティックに映し出された超かっこいい街の風景の中で輝きを放っていた。彼らじゃなければあの物語は成立しない。子どものまま入れ物だけ先に縦に伸び、現実や怒りの壁にガツンガツンとぶつかりながら急激に精神を成長させていく少年たち。居心地が良い仲間たちとの空間に留まっていたいのに、いやおうなしに成長させられてしまう苦しさにこそ、青春の本質はあるのかもしれない。
社会をまっすぐに眼差したテーマ性
本作の設定は近未来だが、一見すると未来の話には感じられないだろう。建物がSFっぽいわけでもないし、高校生は普通の制服を着ているし。でも、教室内の人種構成は明らかに変わっていて、スマホで顔写真を撮るだけで個人情報がわかるようになっていたりする。移民が増え、情報管理が進んでいる社会になっていることが少しずつ分かってくる。
AIによって生徒を監視するという校長の決断に対して、コウら一部の生徒が強烈に反発を示すくだりに対して、政治的メッセージが強すぎるとか抗議手段が古臭すぎるといった違和感を持つ人も多いようだ。私はむしろストレートな主張に好感を持った。ルールを破っていないなら監視されても構わない、安全が確保されるならばある程度の自由の制約は仕方がないという多数派と、個人の尊厳と自由を徹底的に死守すべきだと主張する少数派。厄介なのは前者にとって後者が”わがまま”だと捉えられてしまうことなのだが、本作の少数派たちの描き方にこそ近未来という設定が生きている。
日本に暮らして納税もしているのに、選挙権もなく排外主義者たちから差別される生徒たち。日本人でありながらも、自由を主張して闘う少女。もちろん彼らの中にもレイヤーはあって、退学になりたくないから屈するべきだと考える者もいる。また、佐野史郎演じる校長は彼らと敵対するわけだが無茶苦茶というわけでもなく、座り込みに付き合うなど生徒の自主性を頭から否定するような人間でもない(差別主義者的なところはある)。彼は彼なりに大人として学校と生徒を守ろうとしているのは嘘ではないなと感じさせる、周到な人物造形だ。
最近では『トランスフォーマーONE』でも同じような対立構造が描かれていたし、こういった社会的なテーマ自体は珍しいものではないだろう。ただ、ハッキリと主張を口にしたシーンやデモや座り込みなどと言った活動が登場すると、引いてしまう人が一定数いるのはなぜなのだろうか?押しつけがましく感じるとか、青臭く感じるとかだろうか?私はそうは感じないし、コウたちをわがままだとも思わなかった。個人の尊厳と自由を奪うことなど誰にもできないし、法律などの誰かが決めたルールの中で生活している以上、「自分は社会的に悪いと判断される行動をとることは決してない」とは誰も言えないと思うからだ。
語られることと語られないこと
テーマの表現方法についても、色々な背景を持つキャラクターを用意することで重層的に描けていたと思う。あまり込み入ったことを語らないアタちゃん、ミン、トムたちについても、言葉以外のやり方で彼らの考えていることや葛藤が分かるようになっていた。特に卒業式のアタちゃんのジャケットなんて最高だった。
被差別者としてのアイデンティティや自由への反抗に目覚めたコウは、何も考えずに現状を維持しようとしているようにしか見えないユウタに苛立ちを覚えたが、子どもであっても「何も考えていない」なんていうことはあり得ない。時間が進んでいく以上、誰しもが変化しなくてはならないからだ。皆がそれぞれ自分なりに考えながら大人になっていくんだということを、本作は教えてくれる。そして、それぞれが異なる価値観を持って生きる中で、なんとか世界を良くしようともがくことの大切さも。
泣いているユウタを粋な方法で元気づける中年スタッフ、座り込みシーンでの寿司とキンパの対比、部室の掃除シーン、バスを見送る仲間たちなど、煌めくように素敵なシーンがいくつもあって呼吸をするのも忘れてしまうほどだった。歩道橋のふたりから始まり、歩道橋のふたりで終わるのも(予想はしていたとはいえ)きっちり決まっていた。あの一時停止のセンスなんて嫉妬するほどイケてたし。
青春映画の大傑作。日本の風景ってカッコいいじゃん。
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