どんな作品?
佐藤二郎が12年ぶりに書き起こした戯曲を堤泰之が演出。障害を持つ若い妻役を当事者である佳山明と上甲にかが演じる。
あらすじ
マンションのキッチンで煙草を吹かす至って平凡な女性、山田里見(56)。彼女は介護ヘルパーである。新たな雇い主である相馬花(24)は障がいを持っている。花は動物ライターの夫・和清(45)とペットのウサギ「スケキヨ」と一緒に暮らしていた。要介助の妻と歳の差夫の関係はどこか奇妙ながらも幸せそうに見えた。
ある日、花の母・瑠依(44)とその再婚相手の悟(42)、息子の圭祐(10)が訪ねてくる。上辺は取り繕っていても実の親からも、世間からも見放されている花にシンパシーを感じていく里見。優しい時間の中で、花も徐々に里見や和清に自分の気持ちを吐露していく。しかしある出来事をきっかけに、穏やかだった3人の関係が徐々に狂い始めていく。そしてその先にあった驚愕の秘密…。浮かび上がる「持つ者」と「持たざる者」の間にある埋めようのない「溝」。それを前にした時に、3人が選んだ衝撃の結末とは…。(オフィシャルHPより)
強者と弱者/持つ者と持たざる者についての深淵な問いかけ
リンゴや動物にまつわるトリビアやエピソードを交えながら、登場人物たちを取り巻く状況を少しずつ明らかにしていく会話劇。里見が見せるふとした表情や、和清がふいに見せる不可解な言動に対する違和感が少しずつ重なっていき、最後にすべてが繋がっていくというストーリー。こういった戯曲自体は珍しくないものの、弱者と強者、背負わされた負荷とその代償といったテーマが明確に設定されていて、非常に説得力のある作品に仕上がっていた。
若い頃から身体の自由が利かないというハンディキャップを背負っている花は社会的には明確に「弱者」なわけだが、経済的に見れば多額の賠償金によって裕福な生活をしていたり、半日ヘルパーにつきっきりで世話をしてもらっているなど環境としては恵まれている面もある。対して和清は、一見すると花に対して圧倒的に年上であり、歯に衣着せぬ辛辣なジョークもいえてしまうような「強者」である。優しさと残酷さを行き来するような底知れなさはやや不気味だが、いわゆる狂人ではないだろいうという「普通」な感じも保っている。
ヘルパーとして夫婦に関わる山田は、自分のことはほとんど話さずに献身的に花の世話をする。夫婦それぞれとの会話の中で少しずつ明かされる山田の過去。かつては薬剤師だったという彼女の複雑な表情は、その存在が単なるヘルパーとしてだけ物語に関わってくるのではなく、何か重要なことを隠しているのだろうということを強く予感させる。
地味で暗いトーンを彩る笑いの要素
佐藤二郎はコメディの印象が強い俳優だ。本作は極めて暗いトーンの真面目な作品だが、やはりユーモアの要素はふんだんに含まれている。佐藤二郎が演じる和清も佐藤二郎節のコミカルなツッコミや繰り返しで笑わせてくれるのだが、なんといっても本作で魅力的なのは花だろう。
頭の回転がとても速い花はビターなツッコミやライトなボケを繰り返しながら、相手を軽やかにからかうなど軽妙な会話を展開できる女性として描かれている。自分のことを「性格が悪い」と評し、同情され優しくされるよりも憎まれていたいと吐露する人間くささも含めて、花は間違いなく本作で最も賢くて思いやりがあり、魅力的な人間として描かれている。この花の人物造形だけで本作は8割成功だろうと思わせるほどに、どんどん花に対する好感度は増していき、最終的に観客は、花がいるのは「弱者」というポジションではないという構造の反転に気づかされることになる。
弱さとは?強さとは?
和清は生物としての強者と弱者に関して、異様なこだわりを持つ男だ。その理由については終盤で明かされるわけだが、健常者と障碍者という一見すると健常者=強者/障碍者=弱者とみなされるであろう構図について、本当にそうなのか?という大きいテーマが立ち現れてくるのが本作の肝だろう。
兎は寂しいと死ぬという俗説について、和清は兎はギリギリまで苦しくても平気なフリをするだけだと解説する。はじめは花を兎に例えて、花が虚勢を張って平気なフリをしているのを重ねているのかと思いきや、実は違うということが分かる終盤の展開は非常に苦しいが鮮やかだ。虚勢を張って必死で立っていたのは花ではない。それは……という物語の先にあるのは絶望であり、劇場は言いようのない閉塞感と悲壮感に包まれた。
最終章が与える希望
しかし、本作の終わりにあるのは絶望ではなかった。血縁の上でも、法的にも最も花と関わりが少ない人物が差し伸べる手。人間は迷惑をかけあうものだと言うその人物は、誰よりも遠慮がちではあったものの最初から誰よりも当事者目線で行動していた。強い者と弱い者がいるのではなく、誰もが弱いから補い合えばいいとナチュラルに思い、自分と変わらぬ隣人として花に手を差し伸べるその人物を前にして、花はそれまでよりも一掃生き生きとユーモアを炸裂させる。
深く深く沈み込み、一筋の光すらも失われてしまったかに思えた後に不意に訪れた柔らかな光のような最終章に、劇場を出た後もしばらく涙が止まらなかった。弱く醜く愚かであると同時に、ひどく愛おしい人間という存在を奥底まで考察した、文句なしに素晴らしい作品だった。
コメント