『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』

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作:キャリル・チャーチル
翻訳:広田敦郎
演出:ジョナサン・マンビィ
美術:衣裳:ポール・ウィルス

出演:
『A Number―数』
堤真一、瀬戸康史
『What If If Only―もしも もしせめて』
大東駿介、浅野和之、
ポピエルマレック健太朗・涌澤昊生(Wキャスト)

『What If If Only―もしも もしせめて』無数に煌めく「もしも」たち

幕が上がるとステージの中央にキューブが現れ、台所のセットと1人の男の姿が見える。男は虚空に語り掛けている。どうやら大切な人が死んでしまい喪失感に苦しんでいるらしい。すると突然、謎の男が出現し……。

未来/現在というキャラクターが現れ、起こり得たかもしれない未来の存在を提示していく短い物語。とても観念的で、詩のような言葉が終始連打されていくようなエネルギッシュな作品だった。また、起こり得たかもしれない未来が無数の光となってステージ上に放たれる演出は圧巻。選べたかもしれない過去と、起こり得たかもしれない未来を嘆き続ける男に対して、今この時だけが選ばれた「未来」であり、それ以外には生きられないのだということを力強く訴えていく構成は、観る者に対してもダイレクトに響いてくる。

『A Number―数』自己同一性と人生の後悔

息子は父親に対して、自分と同じ人物が20人も存在しているという事実を伝える。父親は息子の遺伝子が勝手にコピーされたのだと主張するが、どうにも歯切れが悪い。父親が語っていることは本当なのか……?

3人の「息子」と父親との対話。ステージ上のキューブの中には今度はソファーがペアで置かれている。1人の息子との会話が終わるとキューブは閉じられ、映像が流れる。そしてキューブが再び姿を現すと、そこには先ほどとは違う息子が立っている。3人の息子を演じ分ける瀬戸康史の演技が見事だった。

この作品もまた、起こり得たかもしらない未来の話なのだが、実際にその未来を作りだそうとしてしまったというSF的な設定がユニーク。父親の過去と真実が徐々に明らかになっていくに連れて絶望が深まるが、最後にパッと出口が開けたような希望が見えるのが良かった。

あったかもしれない未来への尽きぬ想い(ネタバレあり)

未来は現在の行動の結果として訪れる。現在は過去の行動の結果である。人は誰しも「あのときああしていれば」という後悔を大かれ少なかれ抱えながら生きている。そういう人間の感情を戯曲にしたのが今回の2作品だといえるだろう。

『What If If Only―もしも もしせめて』は、まさにそんな感情を可視化した作品だった。深い喪失感を抱えて苦しむ男の周りに、あったかもしれない未来が一気に姿を現す。その展開は実に劇的で、美しい光の煌めきが男の心を少しずつ癒していくように見えた。終盤に登場する子どもに託された飛翔感もまぶしく、男が「現在」を再認識し、しっかりとひとつだけしか選べない未来を選んでいくであろうという明るい予感を感じさせた。

『A Number―数』はとても辛い物語だった。妻を亡くし幼い息子と生きることになった男が、育児に耐えられなくなり息子を捨て、その後でまたその息子を取り戻すためにクローンをつくる……自己中心的極まりない父親が過去の真実を少しずつ明かすに連れて、息子たちの苦しみが際立ってきて胸が痛くなった。

捨てられた最初の息子の孤独、2番目の息子が苛まれる父親への愛情と憎しみとのジレンマ。父親のせいで不幸になったとしかいえない彼らの姿の後に現れる、3人目の息子の幸せそうな姿との対比。

自立し、家庭を持ち、幸せだ、クローンであることなど気にしないと言い切る3人目の息子の中に、父親は失った1人目と2人目の息子の片鱗を求めるが、そんなものはどこにもなかった。姿かたちは全く同じでも、1人目も2人目も3人目も他のすべての息子も、全く違う人間なのだ。父親はそのことにようやく気づき、物語は幕を閉じる。父親が追い求めた「起こり得た幸せな未来」は実現したが、それは父親の息子としての人生とは全く関係がないところで発生していたのだ。

クローンを使ってアイデンティティを扱っている物語として、罪の主とは無関係な場所で幸福が実現しているという展開には大きな希望を感じた。心身ともに健康で育ちが良さそうな3人目の息子が最も瀬戸康史本来のイメージに近く、それもラストの清々しさを強めていたように思う。

キューブ型のセットと光の使い方が印象的なステージで、まるで夢を見ているような時間だった。また別の演出でも見てみたい。

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